以前も書いたことがあると思いますが、どんな人にも必ずと言ってよいほど、習い事が嫌になる時があります。

しかし、状況にもよりますが、子供の場合、親がそうかそうかと好きにさせるのも、いかがなものかと思います。

せっかくの武道の道場通いなのですから、試練をあたえる場である事を忘れてはいけません。

大人でさえも、そんな時期が定期的にありますから、恥ずかしいことではありません。むしろ、そんなあたりまえの事をまわりが理解して、壁を乗り越えるチャンスをあたえることに意義があると思います。

私達は、児童教育の専門家ではありませんが、継続的に子供達の稽古や目の輝き、笑顔をみていると、その子、その子の日々の家庭での躾、生活背景や心の動きが見えてきます。

ちなみに、私自身、30数年前の子供としては珍しく、たくさんの習い事や家庭教師もついていました。。。〈結果もともなっておりませんが。。(笑)〉



ただ、その中で、私の親はこのように諭してくれました。

「先生と名のつく人がいる習い事は、純粋に勉強をするところ。」

「師と名がつく人がいるところは、勉強の他に人生の師と出会うところ。。」

「だから、飽きてきたのだったら、その師(先生)の考え方や人間性を学ぶために続けなさい。。。」


今でも、家庭教師やスポーツ講師をしてくださった師達とは、公私ともに親交があり教えを受けることもあります。

武道の良さは、鍛錬という稽古や我慢をとおして礼節、心、体、技を鍛えることにあります。

また、人生の師や先輩と出会うところでもあります。〈師範や師匠と肩書きがある由縁ですね。〉

道場の中にも、私達が理想的なイメージとしている道場生の方もすでにおいでです。

ほんの一例では、ある家族道場生のお父さんです。
地元名門の高校球児でもある方です。その後、実業団野球でも活躍され、現在も、県下のリトルリーグ野球の指導もしておいでです。


千山道場では、このような様々な分野で社会的にも活躍しておいでの方々の道場生が、ますます増えてくるでしょう。

私達は、まだまだ師の器量は足りないかと思いますが、このように道場生一人一人も師であり、人生の師としての役割を持っています。

言うに及ばず、少年部の道場生も、それぞれ大切な師という役割もっています。

というわけで、千山道場の道場生の人員構成は、社会の縮図を意図しています。(あと足りないのは、おじいちゃん・おばあちゃん道場生でしょうか!!近い将来、ご年配道場生を受入れる準備も整うと思います)

空手の上達もさることながら、日々の稽古をとおして、社会教育という人間形成を特に重要視しております。

ゆえに定員制にし、道場生の構成を調整しております。
そのため、非営利だからこそ可能な運営として、道場生をたくさん集めてやっていない理由がそこにあります。

したがって、西洋文化のスポーツ的な勝ち負け、目先の結果のみにこだわられる方々には馴染まない道場だと思います。

言いかえれば、純粋に自分を高める目標がある方々が、長く残られる道場なのでしょうね



by 事務局